デビッド・ボーム(David Bohm, 1917-1992)という理論物理学者・哲学者をご存知でしょうか?
相対性理論のアインシュタインや、量子論のボーアなどは有名ですが、ボームの名前を知る人は少ないと思います。ボームはアメリカ生まれで、原爆の開発で知られるオッペンハイマーの下で博士号を取得、プリンストン大学で教職に着きますが、まもなくマッカーシズムにより職を失い、ブラジル、イスラエル、最終的にはイギリスで研究を続けました。そのような経緯があるため、アインシュタインなどに評価されていたものの、理論物理学の主流とは少し離れた立場で活動をしており、それが一般に名前が知られていない理由の一つです。
しかし、この「内蔵秩序」という概念は、私の印象では、私たちの世界認識にすさまじいインパクトを発揮します。これはボームが晩年に提唱した概念で、対になるのが「顕在秩序(Explicate Order)」です。簡単に言えば、私たちが通常知覚している世界、つまり生きている四次元世界は、この「内蔵秩序」が展開されて現れている「顕在秩序」であり、深層にあるこの「流動の全体性」の表層に過ぎないということです。そして、いわゆる量子論的なミステリアスな現象は、この「内蔵秩序」の働きと考えるとつじつまが合い、数学的にも記述できるとされます。その「流動の全体性」がどのようなものであるかは、そもそも顕在秩序の一部である言語で表現できるものではなく、一種の「ブラックボックス」のように扱われている印象もあります。しかし、わからないものはわからないとしつつ、それでも世界構造の説明がつくという点が重要なのです。
私たちも聞いたことがある、「量子もつれ」については、例えば次のように説明できます。
- 内蔵秩序は「非局所的」な流動であり、距離の概念はない。
- 内蔵秩序において分離していない粒子同士のふるまいは、顕在秩序で分離していても距離に関係なく整合する。
そもそも「量子もつれ」の現象は、1つの電子を分割した2つの電子について観測されるもので、表面的には分離して見えても、深層では分離していないと考えることで、2つの電子のふるまいが整合するというのは納得できます。この現象が奇妙すぎて、アインシュタインも納得できなかったとされます。何しろ、2つの電子が何光年離れていても、状態が即時に整合するというのは、光速以上に速いもののない私たちの世界ではあり得ないことです。これは、距離や空間の存在しない内蔵秩序を想定することで、(少なくとも専門外の人間には)無理なく説明が可能になります。
さらに、この内蔵秩序には、空間とともに時間も未分化で「存在しない」とされます。この点も不思議で、いまひとつ身近には感じられないかもしれません。しかし、昔から私たちの身近にある仏教には、このような考え方をしていると想像させる概念が存在します。もともと仏教は理論的で学問的な側面を持っています。そのような仏教理論には、「因果俱時(いんがぐじ)」や「一念三千」という概念が登場します。
このうち一つだけ説明しますと、「因果俱時」とは、原因と結果という因果関係が、共時的に存在し、時系列では存在しないということです。過去・現在・未来の区別がないということでもあり、内蔵秩序的なあり方を想定しているとみることもできるでしょう。この概念で仏教が何を伝えようとしているのかは諸説あると思いますが、一応この場で私の考えを示しておきますと、「過去・現在・未来は深層では分かれていないのだから、現在の自身を変えればすべてが変わる。過去の出来事は変わらないが、その意味は変化させることができ、過去の影響から脱することができる」という意味ではないでしょうか。この「因果俱時」という概念は、私たちの顕在秩序の世界では直感できず、仏教の難解概念の一つになっていると思いますが、内蔵秩序という概念を使うと容易に納得できてしまうのです。逆に言うと、仏教は、じつは内蔵秩序を知っていたかのような世界観を持っているのです。
そのほか、ミュージアムに関することも深く説明できたりするので、これからも少しずつ書いていきたいと思います。それにしても、半世紀近く前に提唱された概念ですが、「内蔵秩序やばい」というのが私の正直な感想です。