デビッド・ボームの「内蔵秩序」という概念から、人と物の関係を考えるとどうなるか、私の思考実験の一例をお伝えします。
私たちは、この内蔵秩序から展開された顕在秩序の世界で生きていることになりますので、究極的には「内蔵秩序から生まれている」と考えることができます。そして、意識を持つ私たち人間は、内蔵秩序と顕在秩序を「参照」しながら、まずは生命維持から始まり、日常の生活、そして社会活動をしていることになります。この「参照」というのは、内蔵秩序が構造的に発生させる現象として考えた場合、内蔵秩序の「自己参照」でもあります。内蔵秩序は意思を持つと考えられていませんが、顕在秩序の中に、内蔵秩序それ自体を見つめ、考察するような高度な生命体をいつか生み出すということが起こりえます。内蔵秩序という概念から考えていくと、これが私たち人間の姿です。
さて、生きるために、あるいは生きる意味を形成しながら、特に顕在秩序を「参照」し続けているのが私たちですが、それが過度に行われると疲弊していきます。顕在秩序は、物質や空間でもありますが、人間社会では言語化された概念の世界、認識の枠組みとしても現れます。文明社会が進んでいくと、情報化や制度化が進み、人は常に他者からの評価や成果、効率、数値などを気にすることになり、顕在秩序に「振り回される」ような状態が続きます。これは、人と関わっても同様で、相手からどう見えるか、といった評価を気にしないでいることは難しいと思います。ここで、物との関りが重要になってくると考えられます。
結論から言えば、人は、物と関わることにより、社会の中で過度に亢進していく自身の「参照」を、一時的に緩めることができると考えられます。物は私たちを評価しません。物は裏切らない。それにより、いわば社会の喧騒から外れた一種の「安心」が生まれるわけで、これが人が物を大事にしたり、集めたりする大きな理由とも考えられます。人がコレクションをする動機は様々に説明されますが、確かにステータスや投資などが動機となる面はあるものの、それだけでは説明しきれないものがあります。この「『参照』の緩和効果」という見方は、人がコレクションをする理由を解明するための、有力な手がかりを示していると思います。
顕在秩序の「参照」が緩和すると何が起こるかというと、相対的に内蔵秩序への「参照」あるいはそれとの「同調」傾向が現れやすくなると考えられます。物というのは本来、非言語の世界です。周囲の世界と概念的に区別されない、名もない対象と対峙しているのです。物に名前をつけ、解説をしようとするのは顕在秩序の活動ですが、物が本来持っている「非言語的意味」に注目すると、物の本当の力が見えてくるのです。物というのは、内蔵秩序的な非言語の世界と人が関わるための、重要な入口のようなものなのかもしれません。
そう考えると、確かに、物は言葉や概念ではない何かで人に語りかけ、人の考え方を奥底から変えてしまうような力があります。宇宙飛行士の方々は、地球を宇宙から見て帰ってくると、世界観や人生観がガラッと変わってしまうような経験をすると言います。彼らは、何か特別な情報(顕在秩序)を得たから変わったというわけではないのです。地球という「物」がもたらす効果でしょう。
そして、そのような「『参照』の緩和装置」としての物やコレクションが、社会的な制度となっているのがミュージアムということになるかもしれません。普通、ミュージアムの機能はこのように説明されませんが、「五感を通じた実物体験」であることの重要性は、博物館教育の効果として経験的に知られています。でも本当は、さらに一歩進んで、内蔵秩序という概念から人と物の関係を考えていくべきなのではないかと思われます。