水に浸かるスフィンクス

カフラー王のピラミッドからは、東方向に参道が伸びていて、その先に有名な大スフィンクスが位置しています。スフィンクスはカフラー王のピラミッドを背にして東の地平線に視線を向けています。さて、このスフィンクスには、首の下まで水による浸食痕があることが知られていて、大きな謎の一つとされています。砂漠の中にあるスフィンクスがなぜ水によって浸食されたのか?

ギザの大スフィンクスは、全長が70メートル以上、高さが20メートルという大きさで、胴体がライオン、頭部が人間という姿の彫像です。半人半獣のような造形は、古くからエジプトやメソポタミア、ギリシャに見られます。ギザの場合は、一枚岩から掘り出されており、他の例と比べて規模は格段に大きいものです。王の威厳を示すものであったり、日本でいう狛犬のような役割をするものとされることが多いようです。

さて、首まで浸水していたという「謎」ですが、普通に考えて、最も浸水に関係ありそうなのは、近代まで毎年必ず起こっていたナイル川の氾濫です。現在はアスワンダムなどでコントロールされていますが、ダム建造以前は毎年数メートル程度の浸水があり、これが農地を肥沃にしていました。この氾濫時期を見極めるために、古代エジプトの天文学は発達したとも言われます。しかし、氾濫があった時代にも、ギザ台地が深く浸水することはなく、よく知られているように、この辺りは砂漠のような乾燥した土地が広がっています。

けれども、現在は遠方を流れているナイル川も、古王国時代(紀元前2500年ごろ)にはギザ台地の付近まで到達していて、現在とは流域が異なっていたことが知られています。そのナイル川を利用して、ピラミッド建造のための石材を船で運搬していたという説も有力です。とはいえ、その時代においてもスフィンクスを水没させるほどの氾濫があったとは考えられていないため、さらに湿潤であったとされる1万年ほど前を想定し、「スフィンクスはピラミッドより何千年も前に建造されていた」という突飛な説も一部で語られています。そんなことがあるのでしょうか?

岩石の浸食について、水によるものと砂によるものははっきり異なるとのことで、スフィンクスが水で浸食されたことは確かなようです。そこで、周囲の建造物はどうなのか見ていくと、スフィンクスの隣には、カフラー王のピラミッドから伸びる参道があったことが知られています。この参道、じつは高さが何メートルもあるという立派な石造です。王の一度きりの葬儀用のものとしては過剰ではないかということで、こちらも「謎」となっています。でも――もしかして、その高さって氾濫期の水位を想定したものではないのでしょうか? つまり、カフラー王のピラミッドに行くための「橋」みたいなものですね。

まとめると、私のイメージしたのはこういうことです――かつて、ギザ台地付近には、スフィンクスを胸まで水没させるようなナイルの氾濫が毎年起こっていた。そのため、氾濫期にピラミッドにアクセスするために「河岸神殿」と呼ばれる船着き場ともなる施設を用意し、高い堤である「参道」を建造した。水が引いた後は、「河岸神殿」は、ピラミッドのある聖域への入り口の神殿でもあった――ちなみに、カフラー王のピラミッドの基底部の標高は、スフィンクスの頭頂部よりずっと高いため、水没することはなかったのです。また、その基底部の「葬祭神殿」は、王の埋葬のためだけでなく、さまざまな機会に祭礼や儀式が行われていたと思われます。この神殿も、一度きりの葬儀のための施設としては、しっかりした造りなのです。

このように、スフィンクスだけでなく、じつは参道にも水位の高い氾濫を示唆するような構造がみられます(じつは、スフィンクスわきの参道の土台部分にも浸食痕のようなものがあります)。これは、考古学だけでなく、地質学や古環境学などの課題にもなると思いますが、そのような他の分野からも、スフィンクスやピラミッドの年代を検討してみる必要があるのではないでしょうか。氾濫を想定すると、ギザの建造物の状況は、あまりにつじつまが合うように思うのです。

毎年、水に沈み、そして再び姿を現すスフィンクスは、ピラミッドの前で太陽の昇る東を見つめながら、再生を繰り返す世界そのものを示していたのかもしれません。

I have recently begun publishing related essays in English on Substack. https://kazsuzuki.substack.com/