なぜ、クラゲ展示は人気になったのか?

デビッド・ボームの「内蔵秩序」という概念から、人と物の関係を考えるとどうなるか、という私の思考実験の続きです。

前回は、人間は生活をする中で、内蔵秩序とともに顕在秩序を「参照」しており、それにより意識を生み出しながら活動していることを説明しました。現代社会は、情報や分析、評価などの顕在秩序との関わりがとりわけ強くなっています。そのような中で、物は「社会の中で過度に亢進していく自身の『参照』を、一時的に緩めることができる」と考えました。物という、私たちを評価することのない、無言の存在を前に、私たちの中で、非言語的・非概念的な内蔵秩序の世界とのつながりが相対的に優位になってくると考えられます。

博物館は、まさに物を扱う施設です。そこでの物の展示が、どのような作用を人に及ぼすのか、今回はもう少し具体的に考えてみましょう。昔から「物が語る」という言い方をします。皆さんはそのような体験をしたことがあるでしょうか?

最近では、博物館も情報化し、学習支援機能も充実しています。明確な情報を得ることが目的のようになっていて、「物の言葉に耳を傾ける」というような曖昧なことはあまり言われなくなりました。しかし、物が情報の一種に過ぎないということになると、物を保存することが基本の博物館は、ほかの学習施設やデータベースでも代替が可能となり、独自の存在意義の多くを失うことになりかねません。実際に、多くの人の意識は、そのような方向に傾いているのではないでしょうか。そのような状況の中では、もう一度、物の力について考えてみる必要があるでしょう。

博物館には、科学博物館や美術館、歴史博物館などの種類がありますが、その中で人気が高いものの一つが水族館でしょう(日本の博物館法で定義されている「博物館」には、動物園や水族館も含まれています)。その水族館を例に、展示がもたらす効果を考えてみたいと思います。通常、水族館の展示物は「物」ではないですが、私たちを評価したりしないという意味で、物と近い働きをします。ここでは、人気の高いクラゲの展示を例に挙げてみましょう。そもそも、なぜ人気が高いのか、考えてみたことはありますか?

クラゲの展示は、2000年代に鶴岡市立加茂水族館で成功したことがきっかけとなり、全国に広がったものです。水槽の中でふわふわと漂い、光の演出で様々な色をまとい、多数のクラゲが水中を舞っているような展示は、主に「癒し」や「リラックス」といった言葉で表現されると思います。しかし、なぜ癒しになるのでしょうか? ここで内蔵秩序の概念を適用すると、より深い次元で理解できるようになります。つまり、クラゲ展示を前に、私たちが日常行っている、顕在秩序の「参照」の縮退が起こるのです。

クラゲは生き物ではありますが、ふわふわと漂うだけのことがほとんど。感情も感じられず、私たちには「正体不明」な存在です。そして、クラゲ自体に興味がわく場合は少なく、あまり言語的な説明を求めません。キャプションさえ見ないことが多い。美しい光の動きとして、なんとなく眺めている――実は、そこに顕在秩序の「参照」の縮退が起こり、言葉にならない非言語的な世界に浸ることになると考えられるのです。つまり、「何を見ているのかよくわからないけど、勉強する必要もないし、誰からも評価されることもないし、ただ美しいと感じられる」という状況が、私たちを日常生活とは違うモードに招いているのです。クラゲ展示を始めた加茂水族館は、意識せずにこの効果をもたらしてしまったことになります。

もちろん、博物館では学習や研究も行われるので、言語化された情報も重要です。けれども、情報だけでなく物を展示することの根本的な意味は、おそらくこの非言語世界との「対話」にあるのです。それが「物が語る」ということなのでしょう。私たちは、普段から物に囲まれていながら、物の声に耳を傾ける習慣があまりなくなっているようです。しかし、内蔵秩序の概念から考えると、私たちが意識せずとも、物は私たちに少なからず影響を与えていると考えたほうがいいでしょう。そこにこそ、物を保存し、展示する博物館の独自の役割が生まれてくると思うのです。

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