姿を消した2つの「神殿」

私たちは通常、「ピラミッドはピラミッド、それ以外の建造物ではない」と考えています。ですが、本当にそうでしょうか? あれだけ巨大なものを造るには、少なくとも数十年、場合によっては百年かかるかもしれません(ヘロドトスの伝える伝承の伝承では20年とされています)。ということは、完全にあのピラミッドの形になる前は、何十年も途中段階だったことになります。最近私は、これは意外と多くの人が考えない、「盲点」のようなものだと気づかされました。

ピラミッドの主な材料である石灰岩の巨石は、当然ながら下から積み上げられていきます。その途中では、完成形の美しい三角形のシルエットではなく、平たい台形のようなシルエットだった時期もあったはずです。それを前提に、クフ王のピラミッドの内部構造を見ていると、あることに気づきます。「王の間」と呼ばれる、王の玄室とされる部屋の下に、「女王の間」と呼ばれるやや小さめの部屋があります。そこに通じる通路は、クフ王のピラミッドにしては珍しく、水平なのです。そして、その水平通路は、「大回廊」の下端から、大回廊の下にもぐるような方向に向かって伸びています。つまり、大回廊の下端の床面に穴が開いたようになっていて、そこからまっすぐ「女王の間」に通じているのです。一見、不思議な構造です。

しかしこれは、別の記事でも触れたように、大回廊の下端が、建造中の一時期に平坦な作業場だった、と考えると不思議ではなくなります。つまり「女王の間」は、かつてあった広く平らな場所の中央付近に、ポツンと造られた屋外の建物だった、と考えることができます。その後、さらに上部に王の間や大回廊を造るため、女王の間の周辺や上部には石材が積み上げられ、「埋められ」ていきました。建造の順序は明らかにこのような感じだと思うのですが、なかなか想像されることがない光景です。そして、かつて屋外の建物であった女王の間は、ピラミッド建造の途中段階における「神殿」としての役割があったと想像します。水平通路は、かつての平場の床面と考えることができます。

どのような儀式が行われたのかはわかりません。しかし、一つ言えることは、何十年にも及ぶ建造過程において、途中で明確な成果や到達点が見えないというのは、関係者からするとかなり「しんどい」はずだということです。年々積みあがって高くなるのはわかりますが、遅々としたペース。完成したとしても抽象的な四角錐です。途中に何か「イベント」が欲しいというのが、人間の心理でしょう。建造途中においても、何らかの形で「使う」ということが、想像以上に重要だったこともあり得ます。

「王の間」については、別の記事で考えたように、「究極の神殿」であったと説明したほうがつじつまが合う点が多い。クフ王のピラミッドというのは、完成形は現在も残るピラミッドの形ではありますが、その建造途中においては、2つの「神殿」を設置する特別な場所であった、と考えることができると思います。そして、役目を終えた「神殿」は、順次石材で埋められていった。突飛な建築方法のように見えますが、遠く離れたマヤ文明では、先代の王の建築を埋めて、その上に新たな建物を造るという習慣があります。エジプトとマヤが関係するかどうかはともかく、人間の発想としてはあり得ると言えるでしょう。

想像してみてください。広大なギザ台地に3つの大ピラミッドが建造されている中、一つのピラミッドの台座の上に、見上げるような高さに神殿が置かれている。そして、その神殿に至る、天井の高い重厚なアーチの回廊が架けられている――それは、一種異様な光景かもしれませんが、時間的にも物量的にも長大なプロジェクトを進行中の街において、重要な役割を持っていたのではないかと思います。

次は、ギザの3大ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド)の建造順について考えてみたいと思います。