「王の間」の構造が意味するもの

最近、ミュージアムに関連して、デビッド・ボームの「内蔵秩序」という概念について考えています。これまで謎だった、いろいろなことが説明できてしまう概念です。そこで、私もずっと心にひっかかっているエジプト・ギザの大ピラミッドを扱ってみたいと思います。

ギザの大ピラミッドの中でも代表的なのが、「クフ王のピラミッド」です。ギザの大ピラミッド3基の中でも、最も謎が多いピラミッドでもあります。なぜかと言えば、内部構造が複雑で、なぜそうなっているのかわからないということがあります。まず、王の玄室と考えられている「王の間」を考えてみましょう。完全に解明されていないことがいくつもあります。

① 玄室としては、中層部という異例の高さにあること

② 内部が極端にシンプルで、内装や銘文が一切なく、埋葬の痕跡がないこと

③ 置かれた石棺の角が欠けて壊れた形をしており、蓋もない上、欠けた部分が摩耗しているように見えること

このように、たとえ何千年もの間に盗掘にあったことを想定しても、ここが王が埋葬されていた部屋とは考えにくい点がいくつもあります。そのため、「この部屋は王の玄室ではない」、「クフ王のピラミッドは王の墓ではない」といった、少数派の意見もあります。

さて、この「王の間」ですが、花崗岩という、固く、比重の大きい(重い)石で作られた直方体の箱のようなシンプルな形です。窓はないので、照明がなければ真っ暗です。そもそも花崗岩は黒っぽいので、「黒い部屋」です。一つ数十トンとも言われる花崗岩のブロックを組み上げ、隙間もなくきっちり仕上げられています。不気味にも見えるこの部屋は、いったい何?

ポツンと奥に置かれた花崗岩の石棺は、一般的なエジプトのミイラを埋葬するにはやや小さいと言われます。のちの時代のツタンカーメン王の棺は、何重にもなっているため、外側はとても大きく、金色に輝いているのが特徴です。しかしこの石棺は違います。しかもこの石棺、高さの低い王の間の入り口を通らない大きさなのです。そして、私が実際に見て何よりも不思議だったのは、王を収めて封じられただけのはずの石棺が、硬い花崗岩であるにもかかわらず、角が摩耗して丸くなっていることです。「これは石棺ではない」という見方も出てくるのは当然でしょう。

私の推測から先にお伝えします。王の間は、「内蔵秩序との同調体験装置」と考えるとつじつまが合います。「内蔵秩序」というのは量子論を基礎とする概念ですが、ここでは、日常的な概念や言語以前にある、意味生成の深層構造のことを指しています。真っ暗で静まり返った空間では、外の世界とは全く異なる感覚となります。これは、日常生活における顕在秩序の参照を縮退させる効果があると想像されます。そうすると、相対的に起こるのが、内蔵秩序との同調感覚です。社会で使われている言葉や概念ではない、表現することのできない「境界なき世界」と接することになります。

そう考えた場合、王の間というのは、一種の「神殿」です。どのような儀式が行われたのか、詳細はわかりません。しかし、場の性格としては、そう考えることができるのです。そして、石棺ですが、これは、儀式において象徴的な意味をもった装置ではないかと思われます。ある人は、これを「〈死〉というものがもはや存在しない」という意味を持っていると言います。そうかも知れません。内蔵秩序という、深層を知ることができるのは、それほど価値のあることなのでしょう。

では、王の間が「神殿」であるとして、なぜ誰もアクセスできないようなピラミッドの奥深くにあるのでしょうか? その点については、次の記事で考えてみたいと思います。